追跡、S.D.G.! (終) 創元推理文庫とS.D.G.のタイムライン
さて最後に、創元推理文庫とS.D.G.の関係を確かめたい。 以前まとめて示したように、S.D.G.と創元推理文庫の関わりはその初期に限られ、以降は携わることはなかったようである。
以下に、両者の関わりを画像を省いてまとめてみた(画像付きのデータは「S.D.G.、それにまつわる人々」(2)~前提となるデータ を参照されたい)。
今回は、下での考察を読む際に論点がわかりやすくなるよう、デザイン担当者ごとにではなく、全体を時系列順にならべたものとする。
S.D.G.がクレジットされている作品のリストと時期(まとめ)
1. アート・コーナーの時代
- 『ポワロの事件簿2』 アート・コーナー (再版 1961/7/28)
- 『あでやかな標的』 ART CORNER (初版 1962/8/18)
- 『三つの道』 ART CORNER (初版 1962/9/7)
- 『通り魔』 ART CORNER (初版 1963/3/8)
- 『ポワロの事件簿』 アート・コーナー (再版 1963/8/30)
2. 「S.D.G.+個人名」の時代
- 『クルンバーの謎』 S.D.G. 太田英男 (初版 1959/10/23)
- 『パーカー・パインの事件簿』 S.D.G. 太田英男 (初版 1963/10/18)
- 『吸血鬼ドラキュラ』 S.D.G. 石垣栄蔵 (初版 1963/12/20)
- 『宇宙船ビーグル号の冒険』 S.D.G. 石垣栄蔵 (初版 1964/2/5)
- 『透明人間』 S.D.G. 太田英男 (初版 1964/2/28)
- 『復讐の女神』 S.D.G. 石垣栄蔵 (初版 1964/6/10)
- 『危険なやつは片づけろ』 S.D.G. 太田英男 (初版 1964/6/20)
- 『ケンネル殺人事件』 S.D.G. 石垣栄蔵 (4版 1964/8/28)
- 『カブト虫殺人事件』 S.D.G. 石垣栄蔵 (3版 1964/8/28)
3. 「個人名のみ」の時代
- 『チャンドラー傑作集2』 石垣栄蔵 (初版 1965/6/25)
- 『消された男』 太田英男 (初版 1965/11/5)
- 『チャンドラー傑作集1』 石垣栄蔵 (5版 1966/12/2)
上のまとめにも示したように、S.D.G.と関連する装丁は、大きく3つの段階に分けることができる。
- 「アート・コーナー(ART CORNER)」の時代 (1961-1963.8)
- 「S.D.G.+個人名」の時代 (1963.9-1964.8)
- 「個人名のみ」の時代 (1965.6-) である。
このまとめから読み取れること3点を、以下にまとめよう。
- アート・コーナーとS.D.G.の関連性
- 時系列に沿わない作品と、その理由の推測
- 「S.D.G.+個人名」⇒「個人名のみ」について
である。
1. アート・コーナーとS.D.G.の関連性
この内、なぜ「アート・コーナー」についてもここに含めるかという点は、以前指摘したところであった。
同じデザインの色違い(『通り魔』と『復讐の女神』)が、一方は「アート・コーナー」、一方は「S.D.G. 石垣栄蔵」のクレジット表記となっていることから、両者には何らかの関連性があるはずだ、ということだ。
『通り魔』 ART CORNER (初版 1963/3/8)
『復讐の女神』 S.D.G. 石垣栄蔵 (初版 1964/6/10)
今回、上記のように、時系列でまとめなおすことで、その「何らかの関連性」とは、おそらくこういうものだったのだろうと考えるに至った。
- 1963(昭和38)発行の『通り魔』では「ART CORNER」、その色違いである、1964(昭和39)の『復讐の女神』では「S.D.G. 石垣栄蔵」と変更されている
- 鈴木氏の言及、商業登記等から、1953(昭和28)年に設立された「鈴木画房」が、1964(昭和39)年、「株式会社エスデージー」に改組したことがわかっている
以上の点から推測するに、デザインの仕事を担当する主体そのものには変化はなかったが、その主体が「株式会社エスデージー」へと改組されるのに伴って、その表記(だけ)が、「ART CORNER」から、「S.D.G.+個人名」に変更されたのではないか。
つまり、「ART CORNER(アート・コーナー)」とは、株式会社エスデージーになる以前の「鈴木画房」の時代に、創元推理文庫のカバーデザインにおいて使用された名称なのではないだろうか?
単に色の変更に過ぎないのに、『通り魔』から『復讐の女神』にかけて「アート・コーナー⇒S.D.G.」と変更された理由としては、これが一番自然な解釈ではないかと、筆者は考えている。
カバーに「S.D.G.」の名前が登場する時期を確認すると、実際には改組(と登記)が完了する1964年よりも以前、1963年の9月(※注)には既に「S.D.G.」の名称を使い始められていたことが確認できる(『クルンバーの謎』)。
※注 『クルンバーの謎』のカバー装のものは、本の本体に記載されている発行年月日は1959/10/23となっている。これは実際には1963年9月以降にカバーが付けられた、と考えられる。
この指摘は奈良泰明 (2014) 『創元推理文庫書影&作品目録 (新訂増補版)』nあり、「カバーにSFマークが使用されている」ことをその論拠としている。1959年時点ではまだジャンル別マークは使われていないからだ。
2. 時系列に沿わない作品と、その理由の推測
次に、「アート・コーナー(ART CORNER)」⇒「S.D.G.+個人名」⇒「個人名のみ」という時系列の中で、「浮いてしまう」装丁が存在する点を指摘する。
『ダブル・ショック』
『ダブル・ショック』 S.D.G. 太田英男 (再 1969/9/5)
この再版がなされた1969(昭和44)年は、時期でいうと既に「個人名のみ」のタイミングであるはずだ。 このカバーに「S.D.G.」と書かれているのには、次のような理由があるものと推測できる。
実は、この『ダブル・ショック』には、再版以前(つまり初版)にも、カバーが付けられたものがあることがわかっている。やはりこの情報も奈良泰明 (2014)によるのだが、1961(昭和35)年発行の初版に、後付けカバー(旧社で発行したものを回収し、新社がカバーをかけたもの)が付けられた別物(90円表記)があることが判明しているのだ(奈良泰明(編) 「新・補遺」の4p)。なお、再版のもののカバーは、価格表記がxx円である。
もし、この「初版後付けカバー」におけるクレジットが、再版と同様「S.D.G. 太田英男」となっているのなら、 「S.D.G.」のクレジット表記が始まるのが1963年9月以降という点からして、1963年以降にかけられたものと判断できるだろう。
さらに、この「初版後付けカバー」において「S.D.G. 太田英男」となっていたからこそ、1969年になって発行された再版においても、「後付けカバー」と同様の「S.D.G.表記」が残っていたのではないだろうか。
ただし、筆者の手元にはこの「初版後付けカバー」そのものは無いので、大きな根拠とする情報が、推測に基づいたものに過ぎないのが苦しいところだ。
1969年にもS.D.G.表記が残っていた理由としてはかなりあり得そうな筋道だと思うのだがどうだろうか。いつか現物によって、この初版後付けカバーの、カバーデザインクレジットを確認できると良いのだが。
『ガーデン殺人事件』
『ガーデン殺人事件』
(12版 1969/8/29 デザイン注記なし
17版 1973/5/26 S.D.G. 石垣栄蔵【奈良泰明 (2014)による】
19版 1973/5/11 S.D.G. 石垣栄蔵)
なお、手元の12版(1969年)も同デザインだが、なぜかこの12版にはカバーのクレジットが無い。
このカバーが1973年になっても「S.D.G.+個人名」を用いているのもやはり、このカバーが、1964年までの「S.D.G.表記の時代」にデザインされたものであって、それを1973年にも引き続き使っていたためであろうと考えられる。
3. 「S.D.G.+個人名」⇒「個人名のみ」について
最後に、1965(昭和40)年以降にデザインされた分が、「S.D.G.+個人名」から「個人名のみ」に変更された理由について。
これは単純に、創元推理文庫のデザインにおいては、S.D.G.という会社とではなく、石垣栄蔵ら、デザイナーとの関係が継続したということだろう。
つまり、この時期には、(「画家 石垣栄蔵のこと」にあったように)、石垣や太田らは、S.D.G.を離れたのではないだろうか(S.D.G.という会社自体は2010年まで存続したのだから、1965年のこの時期に、「S.D.G.」の名を削除する理由としては、その可能性以外は考えにくい)。
S.D.G.の追跡を終えて
S.D.G.が解散した2010年は、自分にとっては、創元推理文庫を収集する興味を既に持っていた時期である。
この頃までであれば、創元推理文庫とS.D.G.の関わり方などを、もっと突っ込んで調べることも可能だったかも知れない。
今と5,6年の時間差によって、そのようなことができなくなってしまったことを知ってしまうと、とても惜しいことをしたという感に打たれる。
そして、その「もっと突っ込んで調べたかったこと」には、石垣栄蔵以外にも、過去S.D.G.に所属していたであろうデザイナーについての調査、という点が含まれている。
そう、「S.D.G. 太田英男」というクレジットを持ち、さらにその後「太田英男」への変更をも経験するという意味で、石垣栄蔵と共通点がありながら、
一方では、石垣栄蔵とは異なり、これまでのところその詳細がわかっていない、太田英男についての調査である。
後記 太田英男については、不完全ながらも、創元推理文庫以外での仕事をいくつか発掘できた。経歴については未だに把握できないのだが、作品について調べられたものだけでも、また紹介したいと考えている。 (2016/02/16)
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