佐藤集雨洞の洞穴

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ハリデイ&マクロイ 「本とバンシー」 (第7回 1953/4/23) 切り裂きジャックにまつわる一冊

Allan Barnard*1 / The Harlot Killer, Jack The Ripper (Dodd Mead 3ドル)

※作者名が片仮名表記の場合は、邦訳されたことのある作家であることを表わす。紹介された作品に邦訳がある場合には、邦題を附記する。以下本文も同様。

21923709849 (1953年 Dodd Mead ハードカバーのジャケット)

22742647628 (1953年 Dell ペーパーバック)

これは、犯罪とそれを扱った小説に関心のある向きであれば、めったに出会えないレベルの、面白く読める一冊である。

収録作品について

まず、「切り裂き殺人」に関するルポルタージュが2つ収録されている。一つはアラン・ハインド Alan Hyndによる概括、"Murder Unlimited"、もう一つはロンドンタイムズから当時の記事を抜粋し収録した、Richard Barkerの"The Fatal Caress"である。

2作と同時に収録されているのは、この最も有名な未解決事件を題材としたフィクション短編である。古典的作品として次の3作品を挙げよう。

  • トマス・バーク Thomas Burke / 「オッタモール氏の手 The Hands of Mr. Ottermole」
  • アンソニー・バウチャー(H・H・ホームズ) Anthony Boucher / 「ストリッパー The Stripper」
  • ベロック・ローンズ Mrs. Belloc Lowndes / 「下宿人 The Lodger」 (当初の短編形式のものを収録。長編バージョンについては、3月12日付けで紹介した)

他の作品の中では、精巧さと想像力の面から次の作品に特に言及しておきたい。

  • Theodora Benson / In the Fourth Ward
  • Kay Rogers / Love Story
  • Donald Henderson / The Alarm Bell (場合によってDetourというタイトルを付けられるはずであった)

ここに一つの作品が収録されていないことが目に付く。イサク・ディーネセン Isak Dinesen(別名 カーレン・ブリクセン Karen Blixen)による技巧的な同工異曲、"The Uncertain Heiress"である。再出版に当たって権利関係の問題が発生したのだろう。どんな編集者も知っているように、これのせいで、今日完全なるアンソロジーを編むことは不可能になっているのだ。

これらのフィクション作品は切り裂き事件に関する仮説を検証するスタイルを取り、どれもが工夫を凝らし、賞讃に値するものである。しかし、この本に収められた創作作品、そしてそれ以外のどんな創作も、実際の報告記事の持つ、病的な魅力には敵わない。Howellsは正しかった―この世には我々には見つけられない仕掛けが仕込んであるのだ。

事件のあらまし

最初の殺人(エマ・エリザベス・スミス、1888年4月3日)はタイムズ紙において全く触れられていない。第2の殺人は短い記事が掲載されただけで、第3の事件に至ってようやくタイムズ紙も3件の被害者全員が街娼であることを報じた。

手掛かりは?血痕の付いた封筒の切れ端が4番目の被害者、アニー・チャップマンの遺体のそばに落ちていて、そこにはサセックス連隊の紋章と「ロンドン、8月20日」という日付が入っていた。それと、「2つの錠剤」もまた見つかっている。それは分析されたのだろうか?宣誓証人は否、と答えている。

最初の4件中、2件の殺人において、腹部から内臓が取り出されていた。他の2件では、犯行時に邪魔が入ったせいで内臓が持ち去られなかったのだろうか?アニー・チャップマンの子宮は「外科的技術によって取り去られて」いた。「意味の無い切り口は一切認められなかった」。後に、この技術についてある医師が第6の事件の被害者、キャサリンエドウズの死因審問において議論している。彼女からは腎臓が取り出されていた。刻一刻と発見されてしまう危険が迫り来る中、内臓の摘出は15分程度はかかる作業であったにちがいない。切り離された組織は大きめのティーカップ一杯分に入る程度であったと言うから、検死解剖がもう少しずさんだったなら、内臓がなくなっていることに気付くこともなかったかもしれない。どうしてこんなことをしたのか?それは誰にもわからない。

検死官はこの頃、「一人のアメリカ人男性」が病理学資料館の館長に対して次のような申し出を行なったと語った。それは人間の子宮の標本一点につき20ポンドを支払うというものだった。その人物は「当時彼が携わっていた出版物一冊ごとに、実際の標本を添付」したいからと言っていたという。

犠牲者たちの体は、半ば飢餓状態であった。貧民街の宿に「家畜のように寄せ集められていた」という女性たちの生活を垣間見て、検視官はこう感じていた。「19世紀の文明社会はそのほとんどが、彼ら(検死陪審員)が誇りに思う理由など見出せないようなもので成り立っていたのだ」。

マイル・エンドのジョージ・ラスク氏のもとに、ボール函に入れられた人間の腎臓の一部が送りつけられてきた。医師によれば、これはアルコール漬け、あるいは「ジン飲みの」腎臓であった。 それはキャサリンエドウズの体内から持ち去られた腎臓だったのか?これもまた、誰にも答えられない命題である。

被害者たちの、最後の目撃証言は?メアリー・ジェイン・ケリーは「一人の男性」と一緒に歩るところを見られている。一人の目撃者は彼女が「ハンカチを無くしちゃったわ」というのを聞いている。その男はポケットから赤いハンカチーフを取り出し、彼女に与えたという。「彼らは一緒に中庭を歩いていきました…」視界から消えてから、彼女が「スウィート・バイオレット」を口ずさむのが聞こえていた。

エリザベス・ストライドは殺人事件の直前、一人の男性にキスしているところを目撃されている。 目撃証言をした人間はその男が「何か言うとは思ったけど、お祈りとは…」こう言うのを聞いた。 「彼は穏やかな口ぶりで、明らかに教育を受けた人間でした。二人で通りを過ぎていきました…」

警察への手紙において、切り裂き犯は「評判の良くない女性だけを殺したのであって、きちんとした淑女の皆さんは絶対安全ですよ」と宣言した。この非道な犯罪が続けざまに起こると、「イースト・ロンドンの労働者階級の女性たち」は、ヴィクトリア女王に対して当該地域の娼館を閉鎖するよう嘆願した。また、タイムズ紙には、キリスト教の宣教師たちを、フィジー諸島と同様、イースト・エンドにも派遣するべきではないかという女性からの投書も届いた。

被害者の一人の傍らの壁には、こう刻まれていた。「ユダヤ野郎は皆、何かしら非難されるようなところがあるもんだ」20世紀になって明らかになる、サディズム反ユダヤ主義のおぞましき結び付きが、ここに前兆となって現れていた。

1889年の春までに、連続殺人は止んだ。容疑者は捕まらなかった。

終わりに

もし切り裂き犯が、身持ちの悪い女性たちではなく赤毛の小売商や銀行家の内臓を抜き取っていたら、犯人は見つからないままだったろうか?ヴィクトリア時代の偽善的態度がこの犯罪の精神的源泉だったのだから、その影響を受けて捜査も困難だったはずだ。最初の犠牲者が道に倒れ死にかけていた時、鉄道馬車の御者がその場に出くわした。その男はその頃の「イースト・エンドにつきものの暴力に慣れっこになっていた」ため、帰宅途中で誰かを見かけたかどうかなどを警察官に伝えようかと考えはしたが、実際には何も語らなかったのだ。もし彼女がちゃんとした主婦だったなら、彼はまだ現場がそのままの間に警察官を連れてきていたにちがいない。

しかしちょうど同じ頃、ヴィクトリア時代の英国人、レッキーは"History of European Morals"を著わしている。彼は、女性の大半が堅くその貞節を守っているような社会は不貞な行為をその生業とする女性の存在無くしては成り立たないと主張している。この考えが一般市民にまで浸透するには、さらに一世代分かそれ以上の時間が必要だった。

切り裂き犯は一度も考えたことがなかったにちがいない。娼婦という存在は人間の悪徳から来る結果であってその原因ではない、などとは。

佐藤より

今回は本文が長大なので短く。

アンソロジーの書評然としたタイトルだが、中身はほぼ全体が「切り裂きジャック事件」の紹介だった今回。書評の筆の冴え、というのはあまり味わえない回だったのではないか。

面白かったのは「フィクションの古典」で取り上げた3作品にはきちんと翻訳が出そろっていて、「次点」扱いの3作品には翻訳が無いこと。一応それらも褒められているわけで、読んでみたいところではある。

なお、本文の小見出し3つは簡便のため佐藤が付け加えたものであることをお断りしておく。

*1:記事では筆者名がAlan Barnardとなっていたが、画像から"Allan"が正しいことが確認できる