佐藤集雨洞の洞穴

twitterで「創元推理文庫旧装丁bot」を動かしている佐藤集雨洞のブログ

ブレット・ハリデイ&ヘレン・マクロイ 「本とバンシー」 (第六回 1953/4/16)

※作者名が片仮名表記の場合は、邦訳されたことのある作家であることを表わす。紹介された作品に邦訳がある場合には、邦題を附記する。

 

ジョン・ビンガム (John Bingham) / The Tender Poisoner (Dodd Mead 2.50ドル)

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(1953年、Dodd Mead初版 ※撮影者の映り込みがひどいが、これくらいしか画像は見つからなかった)

 

男は、こんな思いに駆り立てられている。妻に離婚を申し出てショックを与えるのは気の毒だ、それなら彼女を殺す方がまだましだ、と。この夫の物語が、静かに語られる。非常に整った構成、文章だが、混雑していてもったいぶった感じの幕開けと、イタリック体の多用は、若干その価値を損ねている。

読者には、最初の28ページを軽く読み飛ばし、作者の意図を読み解こうなどと試みないことが推奨される。その後にも現れる、イタリックで書かれた部分は飛ばして読んだ方が良い。ストーリーそのものの価値にだけ着目して読み進めれば、サスペンスはぐいぐい高まっていくし、打ちのめされるようなサプライズが適所に配置されているから、読者は熱心にページをめくり続けることになろう。

次の2つの言及は56,58ページに連続して現れる。これを読むと、作者あるいは活字工のどちらかが精神的にやられていた時期だったのかと訝しんでしまう(校正者は間違いなくそうだったはずだ)。

「辞書の間に挟まれていたのは、幅の狭い赤い本だった。『毒物学―開業医のための手引き』と書いてある。」

...

「バーテルズは函から本を取り出した。(…)本を棚に戻す。隣に、小さな青い本があることに彼は気付いた。『毒物学―開業医のための手引き』と書いてある。」

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(1955年、Dell Book版。ここには「ブレット・ハリデイは語る」として、この書評の一文が引用されている。)

ライアースン・ジョンスン (Ryerson Johnson)  / Mississippi Flame (Gold Medal 0.35ドル)

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(Gold Medal版 1953年。書評内の描写ともぴったりな、クリスタル・フレイムの肖像)

本稿執筆時点では、ライアースン・ジョンスンが描いた、ミシシッピ渓谷の開拓時代を舞台とするこの骨太の小説が、1953年の歴史もの最高傑作であることに疑いの余地はない。

クリスタル・フレイムは愛すべき若い娘である。(ジャケットで画家が疑問の余地を省いてくれたように)顎髭の平底船水夫をして欲望の命じるままにさせるには、実に適切な「乳房用装身具」を身に付けている。浮かれ騒ぎに興じるダン・ブルーは、その炎(フレイム)を押さえつけようとする男だ。

ジョンスン氏は、この歴史小説に不可欠な要素を適切に処理しつつ、第一章から騒々しいほどのペースを保持し続け、決して緩むことがない。

ミシシッピ川を下る平底船の様子について、細部まで注意深く描かれており、ナイフの斬り合いに銃の撃ち合い、邪悪な登場人物、官能的な幕間なども熟練の手つきで散りばめられている。

読者は、ワン・パイニーとトゥー・パイニーに出会い(「そりゃあいつが俺より倍も大きいからさ」)、更には、国家全体を革命に巻き込まんと画策する秘密結社の陰謀に立ち会うことになる。

全体的に優れた作品であり、健康的で、作者による前作Naked in the Streets (もし未読ならこれもまた読む価値のある一作だ)より更に内容が充実している。ジョンソンが、何を書かせても巧みな職人であり、次回作を待つ甲斐のある作家であることの証しである。

Gerard Fairlie / Winner Take All (Dodd Mead 2.50ドル)

Hodder & Stoughton, London, 1956 362868636

(英Hodder & Stoughton版 1956年)

これは推理小説の平均点を大幅に下げるような、不成功の一品といわざるを得ない。最も悲劇的な点のひとつが、イギリス人作家であるにも関わらず、アメリカのハードボイルド・スタイルを猿まねしようとしたことにある。この取り分けできの悪い作品には、スコットランドヤードを退職した元警察本部長が登場する。彼は一人称で筋書きを語り、自分を脅しに来た、タフな登場人物に向かってこんな風に話すのだ。

タフ「あんたも、これ以上首を突っ込めないようにさせられちまうぜ。わかるか?「させられちまう」んだ。さて。そこの一杯、どうする気だ?」

本部長「ご馳走したら、消えてくれるか?」

その後、今度は電話口でこのタフガイに脅された時に、元本部長が言うには。

「なあ聞けよ。何で俺を放っておけない?お前さんのことはほっといてやってる、そうだろ?お前がそう頼んできたんだろうが」

もう沢山だ、ミスター・フェアライ。


佐藤より

twitter上では「年明けには始めたい」とほざいていた、「本とバンシー」の翻訳だが、ようやっと再開。待っていた方がいらっしゃったら、お詫びの申しようもありません。お詫びとして、という程ではないが、今回から、紹介された作品について、ネット上で見つけた書影画像も付けようと思う。必ずしも書評が書かれた当時の書影を紹介できるわけではないが、作品のイメージを喚起する参考にはなるはずだ。今回のように日本未紹介の作品ばかりが並ぶ場合には、なおさら画像の手助けが要るだろう。

ジョン・ビンガムのDell版はこの書評から2年ほど後に出版されたもの。カバーに引用されている名前がブレット・ハリデイのみとなっているので、この書評を執筆したのはブレット・ハリデイだったことがわかる(3作品のジャンルを考慮しても納得できるはずだ)。さらに言えば、この『本とバンシー』が、後々でカバーに引用されるほどの影響力を持っていたことをも示していると言えよう。

ケチョンケチョンにされているGerard Fairlie(ジェラルド・フェアライ、翻訳は一作も無し)。「イギリス人作家であるにも関わらず、アメリカのハードボイルド・スタイルを猿まね」したという部分を読んで、ハドリー・チェイスはどうだったんだ?とも考えてしまう。とは言え、チェイスの『ミス・ブランディッシの蘭 No Orchids for Miss Blandish』は1938年作。この書評からは15年も前の話であって、Winner Take All への低評価は「何十匹目のドジョウだと思ってんの?」ということなのかもしれない。

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