佐藤集雨洞の洞穴

twitterで「創元推理文庫旧装丁bot」を動かしている佐藤集雨洞のブログ

追跡、S.D.G.! (3)「芋づる式」からさらなる確証を得た

こうなると、検索によって情報を探すのもだいぶ容易になる。

S.D.G.に加えて、「鈴木利男」、「鈴木画房」などを同時に検索対象とすることで探す情報が次々と見つかった。そんな中で、次のような記事にも出会うことができた。

週刊ダイヤモンド 2000.1.15号』 鈴木利男 「しみじみと大正・昭和を唄う」

  00024635.html

これはなんと、S.D.G.創業者、鈴木利男氏が自ら記した半生記であった。

まさかこんな文章が、しかも出版物になったものが見つかるとは予想していなかった。 だがしかし、「S.D.G.とは何か?」という問題についてはこれ以上ない確証を与えてくれるものとなった。

 

このエッセイは、「第2回週刊ダイヤモンド 「自分史」大賞」において優秀作品賞に選定され、掲載されたもので、みごと本誌に掲載となったものである。

前半は戦中を経た人ならではの激動の人生の記録である。 加えて、その中で折々の唄に自分を重ねたことなどが書かれている。

後半に入ると、就職を経て、「実業家としての出発」が描かれている。これこそ、探していた内容である。 この点については、長くはなるが、直接引用するべきだろう。学生時代に戦争、そして終戦を経験し、その間にご両親を失ったことが描かれた部分の直後からである。

 

たえがたい屈辱感、絶望感、そして起臥さまよえる状態から、なんとか抜け出したのが、昭和二三年頃であったと思う。

両親はいないし、東京、四谷の実家は全焼して何もない。売り食いもできぬ、裸一貫何か食える仕事はないかと探した。

幸い、図案社(今でいうグラフィックデザイン)が、六〇〇〇円の給料をくれるという。その頃の相場の倍だ。早速飛びついた。仕事は公告図案の版下づくりである。文案も自分で考え、社名はおろか、社長名から住所、電話まで、みな手描きである。然も筆で原寸で描くのである。さすが器用な僕も慣れるまでえらく苦労した。

その会社は今のソニービルの処にあった。帰りに、中学の恩師原弘先生によくあった。先生は日本デザインセンターの設立準備で忙しそうだった。

「鈴木くん、いま何してる」とおっしゃって、色々とご心配いただいた。「そんな版下などやっていると職人芸で終わってしまうよ」といわれた。しかし食うためには仕方がない。先生は同情してくれて、銀座の高級キャバレーのポスター等の仕事を紹介してくださり、少々小遣い稼ぎになった。

また、中央公論や新潮の目次やカットなども書いた。そのころ連載の谷崎潤一郎の「細雪」とかドナルド・キーンの「奥の細道」など、夜なべ仕事だったが、版下原稿をわざわざ拙宅まで、とりにきていただいた歴代の編集長、笹原さん、鰐淵さん、利根川さんなど。なつかしい思い出である。

創業者本人も美術を仕事とする方であり、しかも「図案社」での仕事時代には、なかなか大きな仕事も担当していることが述べられている。

さて、肝心の「S.D.G.」についてである。これも引用する。

「昭和二八年小会社を設立した。独立して折角憶えた広告宣伝の仕事を拡げてみようと思った。最初は十数名の世帯だった。その後三九年に株式会社エスデージーに改組した。システムズ・デザイニング・グループの略である。宣伝に限らず企業のPR全般何でもやってみようと思った。」

エッセイは最後に、鈴木氏がS.D.G.を離れてから始めたという、書家としての生き方、考え方を記して閉じられている。

 

以上引用した部分から、S.D.G.(エスデージー)が、鈴木利男氏によって設立された会社名であったことが、明らかになった。

「鈴木画房」という単語に注目した際に、可能性が高いと考えていた、「S.D.G.のSは鈴木ということ!?」という予想は外れてしまったが(笑)、「鈴木画房=S.D.G.」説は一応、当たっていたということだ。

なお、エッセイ内にはその名称こそ出てこないものの、エッセイ内で「小会社を設立した」とあるのは、S.D.G.の前身である「鈴木画房」のことであり、『産経日本紳士名鑑』の内容と併せれば、その設立は昭和28(1953)だったということになる。

 

創元推理文庫を読み、集めるようになった当初から気になっていた、「『S.D.G.』って何のことなんだろう?」という素朴な疑問。

その解決までに、予想以上の回り道や脇道、迷い道に入り込むこととなったが、ここにとうとう、その回答を見つけることができたのであった。

 

※その後、鈴木利男氏が開催された個展について、youtubeに動画が上げられていることもわかった。

上記エッセイの末尾には、1998(平成10年)、日本橋の壺中居画廊で個展を開いたことが書かれていたが、どうやらその後も同じ場所で個展は開催されていたらしく、映像は2010(平成22年)のものである。動画後半では、ご本人のあいさつの様子もあり、ご健在ぶりが窺われる。

平成22年4月 壺中居 鈴木利男書画展「生か死か」 https://www.youtube.com/watch?v=FvI0Vezkl4E watch

(手前が鈴木利男氏)

それ以降の情報は、インターネット上からは拾えないものの、映像にある矍鑠ぶりを今も発揮し、書画の作品作りに昼夜奮闘されておられることだろう。

Written with StackEdit.