追跡、S.D.G.! (2)遂に掴んだS.D.G.のしっぽ
googleの単純な検索では、めぼしい情報が全く出てこなかった「鈴木画房」についての調査。
一方の、google booksの検索結果画面からは、予想していなかったような、驚くべき内容が目に飛び込んできた。
なんと、「鈴木画房」と共に、「エスデージー」という名も併記されていたのである!
もう一度言おう、ずばり、懸案の「エスデージー」が、「鈴木画房」を検索したら出てきたのだ! (この内容を、鼻穴を膨らませ、鼻息も荒く書き記す人間は、自分だけだろう)
ここについに、「鈴木画房」が「S.D.G.」との間に、何らかの繋がりがあることが、ほぼ決定的となった。
それにしても、「S.D.G.」が「エスデージー」という読み方だったとは。
確か、それまでも「S.D.G.」だけでなく「SDG」、「S・D・G」や「エスディージー」での検索はしたことがあったのだが、「エスデージー」の可能性は一度も考慮しなかった。
ここまでの苦労が、まさか「リポビタンD」が「ディー」ではなく「デー」なのと同じ原理によってもたらされていることなど、一瞬たりとも脳裏をかすめたことはなかった。
驚くべき「デー」の表記、そして、鈴木画房とエスデージーの共存。画面に食い入る自分の目は、晩酌ではなく興奮のせいで、爛々としていたかもしれない。
ちなみに、上にも示したように、検索画面では『月刊日本』の結果の方が、「鈴木画房≒S.D.G.」であることを見て取りやすいが、その後原本を参照すると、この点を端的に物語ってくれるのは、『産経日本紳士名鑑』の一ページの方であることがわかった。
実はこれが、これこそが、以前「ある結論: それは『産経日本紳士年鑑』の1ページにあった」に提示した、1ページだったのである。
このページを拡大してみよう。するとそこに、「鈴木利男」という項目名があり、引き続き以下の記述が見つかる。
- 鈴木利男
- (株)S・D・G代表
- (生)東京都 大13 5 5
- (歴)昭19横浜工専建築科卒 昭和村中学教員 のち上京 銀座丹誠堂に五年間勤務
- 同28 デザイナーとして独立 鈴木画房を創設
- 同38 渡米
- 同39 S・D・Gと改称
- なおこの間米国東南アジアを視察した
- (趣)登山絵画
出典: 産経新聞年鑑局(編) (1966) 『産経日本紳士年鑑(第6版 上)』 p.205
こうして、石垣栄蔵の経歴に現れた「鈴木画房」が、その後改称して、長年の謎であった「S.D.G.」となったということを明らかにすることができた。
(つづく)
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