「S.D.G.と、それにまつわる人々」(6) 期せずして東京創元社から返事をもらう!
(前回の続き)
「え!」、というのが正直な反応だった。
なぜだろう、これまでtwitter上で勝手にoldsogenbotを始めてしまった後ろめたさのせいか、それとも完全にぼけてしまっていただけなのか自分でも判然としないが、この会話のこの時点まで、なぜか自分には「東京創元社に聞いてみよう!」という気持ちが生じなかったのだった。
無理矢理ひねり出せば、あの、2009年に創元推理文庫の発行50周年記念で発行された『東京創元社 文庫解説総目録』において、口絵での初期装丁の紹介、そして松田正久氏の分類マークにまつわるインタビューなどはあったものの、デザイナーに関する言及がほとんど無かったことから、「創元社にはあんまりそういう資料は残ってないのかもしれないな」という想像があった、ということもある。
しかし、そんな単なる想像で、取るべき問い合わせの第一歩をせずにいたのは迂闊だった。
なにはともあれ、わざわざ聞いてくれたんだなあ、さあ、どんな答えが返ってきたのだろう? 筆者の期待は、否が応でも盛り上がってしまった。
しかし…
残念ながら、図書館経由で聞けた答えは、ほぼ図書館の返事と同じものだった。
S.D.G.、そして太田英男氏についての情報は今はもう東京創元社に残されていなかった、とのこと。
ただ、図書館の場合と違ったのは、東京創元社編集部の方が、次のような推測も語ってくれたということだった。
「S.D.G.は、どうも色違いのデザインが存在する時に使用されているようですから、もしかすると、元のデザインが存在して、それに(色違いを作るなど)何らかの変更を加えた時には、創元社のチームが携わって、デザイナー自身は関わらなかったんじゃないでしょうか、そしてそういう時にだけS.D.G.という名称をデザイナー名の前に付けたということなのかもしれません、あくまで推測ですが…」
図書館からの問い合わせだったとは言え、「図書館利用者の疑問」というとは伝えたとのことだったので、個人的な質問にこういう返事をくれたこと自体が、自分には嬉しいものだった。と同時に、本丸にも残っていない情報を調べようとしてたのか、自分は!ということに恐れをなしたのも事実だった。
(つづく)
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