佐藤集雨洞の洞穴

twitterで「創元推理文庫旧装丁bot」を動かしている佐藤集雨洞のブログ

本を愛したデザイナー ―教え子からみた日下 弘のエディトリアルデザイン (四) [湯浅レイ子氏]

 

湯浅レイ子氏による本連載「本を愛したデザイナー ―教え子からみた日下 弘のエディトリアルデザイン。今回から連載は後半に入る。今回は、「日下弘のデザイン論」に関して語って下さった部分をお届けする。どうぞお楽しみ下さい。

 

 

日宣美

※日宣美については、この回を参照のこと。

satopseudo.hatenablog.com

 

先生、日宣美で賞をとられていてすごいですね!と皆がお聞きすると、

「受賞後、仕事の依頼が押し寄せてきた。でも、ほとんど僕は断った。

 あの時全部引き受けていたら、今の僕はない」

 戦争中、絵に優れた者やデザイン意匠に巧みな者は戦争絵やプロパガンダカタログなどの制作に駆り出され、皆様苦労されていたようです(『日本デザイン小史』 †1)。戦後は自由、民主主義を掲げる世相の中で、戦時中に抑圧されたエネルギーが噴出し、新しい表現を求める機運は1951年日宣美を生み、新人の登竜門として多くの若い表現者がデザインのスターダムに乗り、その後の日本のデザイン界を長期に渡り牽引しました。河野鷹思氏はアトリエデスカを設立。1960年世界デザイン会議、のちの東京オリンピック。デザイン界はポスターの60年、エディトリアルの70年を迎えるに至ります(*1)。

 時代の求めに応じて設立され、また時代の流れにより1970年に解体されたこの団体の奨励賞を日下氏は1957年に受賞されています。

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(右が、1957(昭和32)年の日下弘氏の年賀状。この年、日宣美奨励賞を受賞することになる。左は1955(昭和30)年、日下氏が東京藝大の学生の時のものである。【佐藤所蔵】)

今のみを語る。

 日下先生に教えを受けたのはアトリエデスカから独立され、日下弘デザイン事務所を赤坂に構えられた時代でした。

 アトリエデスカ時代と広告のことは、一切語ることがありませんでした。エディトリアルデザインがいかに可能性に満ちていておもしろいか、「現在」の仕事を語られました。作品も拝見しましたが、創元推理文庫以降(私が10代の頃)なぜ先生の作品に出会わなかったのかがわかりました。その当時ならではの函入りの豪華本の装幀が多く、それらの本は街の一般書店ではみかけないものばかりだったからです。

 広告は2つ。ヒゲタ醤油と牛のマークがあったので酪農協会関係の仕事だと思いますが、女子美出身のよくできるアシスタントの女性が結婚で退職される時にもたせた(注)と伺いました。

 注:「もたせる」とは、デザイン事務所の場合よくあることですが、仕事の移譲をしたということです。自宅でそのクライアントさんの仕事を個人で請け負うことができるようにしてあげたということです。これは請負側とクライアント側の話し合いの了解の結果できることです。

創元推理文庫

 新しい表現を求める時代の追い風の中、1959年創元推理文庫が創刊されました。日宣美受賞デザイナー、アトリエデスカ所属のデザイナー、現在も活躍するデザイナーがキラ星のごとく多数起用されています。その中で日下氏は280冊旧推理文庫装幀に関わられました。

 戦後流入したアメリカ文化の中にはペイパーバックも入っています。それに戸惑う人たちももちろん存在しました。「詩人の中の図像学 *2」には、常盤新平の「遠いアメリカ」で、ヘミングウェイ、フォークナーをもってしても、主人公重吉(新平と想像される)の父はアメリカナイズされたイラストが表紙を飾るペイパーバック故に、いかがわしい本と思う下りが紹介されています。上製本は真面目で立派な本に見えたということです。

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遠いアメリカ | 常盤 新平 |本 | 通販 | Amazon

 日下氏は、ペイパーバックの装幀デザインが、文字だけで上品にレイアウトされていれば、またイラストレーションの表現が違っていれば、重吉は父から怒られることもなく、軽蔑されることもなかったであろう。と述べています。

 先生の事務所の本棚の一棹が推理文庫の作品でした。全部を拝見することは無理で、数冊ぬきとっては見せていただきましたが、この本は本当は裏表紙もデザインしたが、出版社が別のデザインにしてしまった。しかたないな。そういう時は寂しそうにみえました。私は先生のような方でもそのようなことがあるのか、と唖然としていました。

 botさまが表紙も様々なバージョンがあるとご指摘されているものは、このような事情ではなかったでしょうか。 280冊もの文庫装幀。280冊のゲラを読み、その内容の映像を表紙に投影させる。ロゴも萩原朔太郎「月に吠える」を彷彿させる手書きレタリング、ロットリングで雲形定規を組み合わせて起こしたパターンが多用されていています。膨大な時間を費やしたことと思います。ご自身でラフからフィニッシュまで仕上げる場合、またはラフの段階以後はディレクションにまわりフィニッシュまでアシスタントが担当される場合もあったと推測されます。制作過程はケースバイケースだったのではないでしょうか。

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(↑多彩な日下氏の創元推理文庫の仕事、そのうちの一例)

 「SF挿絵画家の系譜 *3」で大橋博之は、

「日下のデザインには高級感がある。紋章を好み、細い線で描かれたエレメントを多様する。シャープで洗練されている、奇抜ではなくとも安定感がある。だが、細かいところに遊び心があったりもする。」

と語っています。

 一方「詩人の中の図像学」には、「朔太郎は装幀を内容の映像と捉えた」とありますが、内容の映像たる表紙は、ことさらに目立つことだけを目的にしておらず品格があります。色、イラストレーション、文字の構成要素、により完成されたデザインは繊細なラインの組み合わせであっても、鳥瞰すれば全体に堂々としています。そのなかには遊び心、洒脱なユーモアを配したものもあります。

Written with StackEdit.

*1:日本デザイン小史編集同人(編)(1970)『デザイン小史』

*2:日下弘(1984)「視覚リズム考」  北野徹・日下弘・ジュンキョウヤ『リズムの発見』(もりの出版)所収

*3:大橋博行(2009)「SF挿絵画家の系譜41 モダンでシャープ・日下弘」 『SFマガジン (2009年8月号)』所収