佐藤集雨洞の洞穴

twitterで「創元推理文庫旧装丁bot」を動かしている佐藤集雨洞のブログ

「本とバンシー」 ブレット・ハリデイ&ヘレン・マクロイ(第二回 1953/3/19)

※作者名が片仮名表記の場合は、邦訳されたことのある作家であることを表わす。紹介された作品に邦訳がある場合には、邦題を附記する。

 

フィリップ・マクドナルド(Philip MacDonald) 『狂った殺人 Murder Gone Mad』 (Mercury Publications 35セント)

 近年の「廉価な」ペーパーバック本(再版ものもオリジナルものも)の隆盛に関する賛否両論の中でも、そして、その存在を誹謗中傷し、監視すべきとし、非難する議会委員会の中でも、この状況に関するある一つの側面にはほとんど注意が払われてこなかった。読者にとっても作家にとっても同様に重要であるのに関わらずだ。

 多くの絶版本や、ほぼ忘れ去られてしまった、物語という芸術の古典的作品を、低価格で再び発刊できるようになる、そういう実益を私たちは指摘しておきたいのだ。それらの作品は、ハードカバーで初めて世に出た際にはほぼ言及されることもなく、わずかに眼識のある読者の目に触れるのみにとどまってしまったものであった。そういった再刊は、幸いにも増加しつづけている。

 フィリップ・マクドナルドの『狂った殺人』もその中の一冊である。1931年に初版が発行されたこの作品は、最近になってMercury Publicationsによって再刊された。この本は、トニー・バウチャーによる、明快かつ広範な知識をもたらしてくれる序文が添えられており、さらに、どのニューススタンドでも一冊たった35セントで手に入れることができるのだ。

 読者の中には、マクドナルドを(ほとんど)類似作品のない『Xに対する挑戦状』の著者として記憶する人も多かろう。そういう人は(そして『狂った殺人』のオリジナル版を読み逃した人は)、急いで出かけ、この本をすぐに手に入れることをお勧めする。

 この作品も(先週書評を書いた)ローンズ氏の『下宿人』と同様、切り裂きジャックをテーマとしたフィクションである。そこでは、明らかに狂気による犯罪、明確な動機もなしに繰り返される一連の殺人事件が描かれる。そしてまた一人、また一人とはっきりしたパターンも無しに死人が増えるにしたがい、地域全体が震撼する。

 この事件では、ただでさえ恐怖心がいや増していくのに加えて、殺人者が、地域の中でより若く、より幸福な環境にある人間からその犠牲者を選び抜いているという事実が分かるにつれ、その恐怖は計り知れない状態に至ることとなった。被害は、その死が最も峻烈な悲嘆を誘うような人物にばかり集中していたのである。

 警察官が殺人犯の逮捕を目指して行なう仕事が、注意深く、丁寧に証拠立てながら語られる。この点がこの本のサスペンスを高めることに寄与している。読者は少なくとも第1章を読み終わるまで本を置くことはできないだろう。

 Mercury Publicationsがこの本を再発してくれたことに感謝する一方で、一つだけ不平を述べさせてもらう。多くの「マーキュリーミステリーズ」と同様、これは縮約版なのだ。にもかかわらず、他の出版社の似たような本よりも10セント高く価格が設定されている。それらの出版社では、192ページで25セントに設定してもちゃんと利益を出せているはずなのだが。

シャーロット・アームストロング(Charlotte Armstrong)  Catch-As-Catch-Can (Coward-McCann 2.75ドル)

 シャーロット・アームストロングはおそらく、現役の中では最も、腹立たしいほどにむらがあるプロ作家なのではないだろうか。「毎回自身の作を上回れる作家はいない」という公理は認めねばならない。無論、シャーロットにもそんな無理をお願いしようというわけではない。ただ、あの『疑われざる者 The Unsuspected 』の後であれば、陳腐で、独創性に欠け、気取っただけの『見えない蜘蛛の巣 The Chocolate Cobweb 』のような物語ではなく、優れた作品を期待するのも無茶な話ではなかったはずだ。『見えない蜘蛛の巣』を読んでからは、『ノックは無用 Mischief 』に挑むのを躊躇したほどだが、実際その本を手に取ってからは、忘れられないほどの恐怖と高まる緊張感の中、まさしく離れ業が行なわれたことを目撃したのだった。

 次が The Black-Eyed Stranger である。それとも『ノックは無用』の方が先だったか?まあ問題ではない。どちらにせよあれは『見えない蜘蛛の巣』並にひどい作品だった。

 それでも、この女性は『疑われざる者』と『ノックは無用』を書いた作家だ。だからこそわれわれは彼女の最新作、Catch-As-Catch-Canに一刻も早くと手を伸ばしたのだ。(…)

佐藤より

本文はここで終わる。しかし、実は次回評の末尾で編集部が、シャーロット・アームストロング評の最後の部分が欠落してしまったことを謝罪している。とは言え、Catch-As-Catch-Canにどんな評価が下されたのかは、ここに書いてある部分だけで判断できるだろう。

Written with StackEdit.