佐藤集雨洞の洞穴

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「本とバンシー」 ブレット・ハリデイ&ヘレン・マクロイ(第一回 1953/3/12)

 

マリー・ベロック・ローンズ (Marie Belloc Lowndes) 『下宿人 The Lodger 』 (Longmans, Green and Co. 2.75ドル)

 今日初版が発行される推理小説の内で、40年後にまた新版が出版され、なおかつ体裁がハードカバーなら価格もハードカバー、というものはいったい何冊になるのだろうか?1953年現在においては、1913年、つまり世界の大変革の前年に出た『下宿人』がそれである。表面上平穏な日常的生活の奥にかすかに捉えられる、秘められた恐怖の存在をほのめかすという点で、この作品は現在もその力を失っていない。

 この本は「倒叙型」ミステリーの最初期の例の一つである。ここでは、誰が殺人犯なのかは、(その人物以外の登場人物にとってはそうではないだろうが、)読者には最初から明らかにされている。読者の注意は、解決への興味よりも、ドラマ性によって保たれていくのだ。作品のペースは同じジャンルの後発作品よりは幾分のんびりしているかもしれないが、作風は時代遅れになっていない。切り裂きジャックを元にしたことがはっきりしている事件において、被害者たちが街娼ではなくアルコール依存症患者として描かれているところには、戦前の古風な趣が感じ取られる。作者のローンズが今日執筆していたなら、おそらくまず彼女自身がこの点を変更しただろう。 文体も申し分がない。彼女を、推理小説の分野におけるイーディス・ウォートンと呼ぶのは、言い過ぎだろうか?

Howard Whitman. A Reporter In Search Of God (Doubleday 3.50ドル)

 ウエストポート在住の同業者から作品を受け取るときはいつも、特に興味を引かれるものだ。しかし、こう告白するのは楽しいことではないのだが、Terror In The Streets, Let's Tell The Truth About Sexといった過去の作品のできから鑑みるに、完全に俗世間的なできを追求した作品の方が、今作 A Reporter In Search Of God を物すよりはうまくいっていたのではないかという気がする。

 この作品は、日常的な言葉遣いで宗教を「大衆化」し、「説明」しようとする一連の現代的な試みに、新たに加わるものである。結果は、庶民への間に合わせの料理といったところだ。まずい料理というわけではない。どこにフォークを突っ込んでも、何か食べられる欠片をすくい取ることはできるだろう。ただしジューシーな一切れというわけにはいかない――まあまあ食えるもの、でしかないのだ。誰でもどうぞ召し上がれ、とお薦めできる部分はわずかで、大部分はたいしたものではない。

 著者は、主婦や主教らとの1分間の対話の合間に、体裁ばかりのくたびれた散文体を用い、個人的な哲学をくどくど述べ立ててしまう。ただ、特に何か中身があるわけでもないため、何度もうまく言えずに終わってしまっている。

イリアム・P・マッギヴァーン (William Peter McGivern) 『ビッグ・ヒート The Big Heat 』 (Dodd Mead 2.50ドル)

 喜びと共にご報告しよう。ビル・マッギヴァーンが、『ビッグ・ヒート』によって、現代ミステリ作家の最高位へ最後の一歩を踏み出したのだ。著者は、地に足が付いた現実性と、熟達したストーリーテラーとしての信頼できる職人芸を撚り合わせて、ページをめくるごとに読む者の感情に爪を立てる作品をもたらしてくれた。そして、サスペンスの上昇気流へ次々と読み手を巻き込み、こんな結末部へ誘っていく。

「バニオンはストーンの遺体を見下ろしながら、街灯の黄色い光線の中に立っていた。疲れ切った様子で額を擦り、こう考えていた。これで、これでやっとお終いだ。彼は、永遠とも思えるほどの間、怒りと哀しみを抱えて生きてきた。今や、怒りは去った。残ったのは哀しみだけだった。」

 この作品は、完全に頽廃した都市に生きる、一人の正直な警官、デイヴ・バニオンの物語である。彼は機械仕掛けの中のちっぽけな歯車なのだが、上層部から同僚の警官が自殺したことを隠蔽するよう命令が下されるとそれに反抗し、バッジを返上した。しかし銃は返さずにいる。

 この作品は怒りと苦さを伴っているが、怒りと苦さが執筆そのものにも溢れ出すということはなかったようだ。マッギヴァーンの文体は良く統制されていて、硬質である。良く鍛えた鉄がそうであるように。結末において読者は、狼狽し動揺させられはするが、それは、明日の新聞の見出しは今日ほどはひどくないかもしれないという、一抹の希望を感じさせる結末でもある。

「この文章は何か?」 佐藤より

 以上は、二人のミステリー作家、ブレット・ハリデイとヘレン・マクロイによる合同書評連載、「本とバンシー (BOOKS and Banshees)」の、第一回分(1953/3/12掲載)の翻訳である。二人は当時、夫婦でもあった(1961年に離婚)。掲載されたのはWestport Town Crierと言い、コネチカット州の都市ウエストポートの地方紙であった。この街には当時、二人が家族で在住していたそうだ。

 今回の翻訳は試験的なもので、まだ今後も続けるかどうかははっきりしていない。英語の翻訳なんてかなり久し振りだったので、意訳した部分もある。興味があるといってくれる方がいれば、やる気も続くかな…(それぞれが短く、ぼちぼちならできそうなので)。

 近年になり、翻訳もほぼ出そろった感のあるヘレン・マクロイについては、その作品をずっと楽しみに読んできた(ブレット・ハリデイにはごめんなさい、今初めて読んでいる最中です)。彼女の経歴を調べると良く紹介されるのが、「1954年、ブレット・ハリデイと共にエドガー賞の最優秀評論賞(Outstanding Mystery Criticism)を受賞した」という点だった。その内容は、私の検索能力に限界があり、ずっと(と言っても1年ほど)不明なままだったのだが、今回、ネット上で閲覧する手段を教えていただいたので、記念に訳してみようかと思ったわけだ。

 エドガー賞を受賞はしたとは言え、ミステリー書評史上、この連載が他に真似できない outstandingな価値を本当に持っていたのか、そもそも、書評がどのような方針で書かれ、どういった作品をこの後取り上げていくことになったのかも、現時点ではほとんど把握できていない。それでも読んでみたいという方がいれば良いのだが…よろしければご意見ご感想お聞かせください。


 Westport Town Crierの閲覧に関して、NewspaperArchive が使用できることを、あの『アントニイ・バークリー書評集』編著者の三門優祐‏さん(@m_youyou)にご教示いただきました。改めてお礼申し上げます。

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