佐藤集雨洞の洞穴

twitterで「創元推理文庫旧装丁bot」を動かしている佐藤集雨洞のブログ

本を愛したデザイナー ―教え子からみた日下 弘のエディトリアルデザイン (最終回) [湯浅レイ子氏]

6回に渡ってお送りしてきた、湯浅レイ子氏による連載も、今回が最終回となる。今回は、日下弘氏と奥様とのお別れについて。優れた教育者であった日下氏が偲ばれるエピソードとなっている。

 

訃報 

 平成元年の2月初旬、新聞に先生の訃報が載っていることを、クラスメイトから電話で知らされました。

 いつものように年末のお花をお贈りして、先生から「ちょっと具合がわるくてね」。奥様から「なかなかよくならないでいやになってしまうんです」と別々のお葉書をいただいても気がつかなかった、お二人の精神力の強さを甘くみていた自分を深く悔いました。日下事務所に電話をしたら所員の若い男性の方が電話に出て葬儀日程や場所を教えてくださいました。そして、あなたのことを先生はよく話題にされていましたよ、とお伝えいただきました。

 大勢の人々と学生さんでいっぱいの本堂の中で、学芸大学の学長の弔辞を聞きました。「氏のデザインは堂々とした骨太な作風」と述べられていたのを覚えています。

 一番後ろで立って弔辞を聞きながら、もっとデザインをしていただきたかった、もっと教えていただきたかった、自分も装幀やレイアウトを職業にした、事務所も持った今だからこそお聞きしたいことが沢山あるのに、どうしてこんなに急に、そして早く逝かれたのですかと思うばかりでした。

 けれど、亡くなられたという現実感は不思議にありませんでした。

いい妻だ、というクチグゼ。

 先生が他界されて18年後のこと。

 そろそろ年末のお花を、と心算をしていると奥様からハガキが届き、ことしはちょっと病院にいますのでお花は送って下さらなくていいの、そして来年からはもういいの。と書いてありました。その日は校了日でしたが、日下先生の時の轍を踏みたくないと、直ぐに病院に向かいました。

 聖ヶ丘病院ポスピスの奥様の病室には、たくさんのお花、たくさんの元学生の見舞客の訪問。それは、仕事のお世話も含め、ご夫妻にお世話になっていたのは(「こんな手紙をかくのははじめてだよ」という言葉とは裏腹に)、私だけではなかったことを物語ります。私たちエディタークスールの生徒以外に、藝大、愛知藝大、女子美の生徒さんまで、沢山の生徒さんが入れ替わり立ち替り、ご挨拶にいらしていたのでした。

 綺麗な聖ヶ丘病院ホスピスの部屋で20分くらい赤坂時代からの思い出話をして、帰り際図らずも泣いてしまいました。奥様は逆に私の肩を抱いて寂しそうな笑顔で「泣かないで、ありがとう」と送り出してくださいました。

 先生は奥様と再婚とうかがっていました。

 「いい妻だ、ほんとうにいい妻だ」といつもおっしゃっていました。

 「僕は家では何もしないんだよ」

「先生、それで奥様はいいのでしょうか?」とクラスメイト。

 「それは、僕の妻だからね」とシラッとおっしゃるのでした。

 先生が他界されてからも暮れにお花をお送りすると、手編みのスヌード、スタバのクリスマスカップ、椿の絵のついた美しい小箱など毎年心づくしのお礼が届くのでした。

 しばらくした寒い日に、お見舞いに行った時お会いした奥様のお姉様より挨拶状が届き日下福美さんが神の世界に召されたこと、そして葬儀は故人の意思で行わず、世の中のお役にたてるように検体されたことが書いてありました。そういえば日下先生の時もお香典は全てユニセフへに寄付されていました。


 少しでも世の中の役に立とうと願い、ご自分の気持ちに誠実であり続け、語らない品性を保ち続けたお二人を亡くし、自分のバックボーンであったご夫妻の大きさを改めて知りました。

【佐藤より】

以上で、湯浅レイ子氏の連載は終了となる。

今回、湯浅氏のおかげで日下氏の詳しい経歴をまとめることができた。今回の原稿にも触れられているが、氏の早すぎる逝去は、惜しんでも惜しみきれないと感じざるを得ない。ご夫婦共にご存命でない今となっては、こうして当時のエピソードを残すことでしか、その功績を称えることはできなくなってしまっている。湯浅レイ子氏は今回、そうした意義を感じ取り、玉稿をお寄せくださった。

何度も書いてきたが、湯浅氏には貴重なお話の数々をお聞かせいただいたことに、改めて感謝申し上げる。弱小ブログゆえ、今、ここに掲載したばかりでは興味を持って読んで下さる方は少数かもしれない。しかし、今後もこの情報をこうしてネット上に掲載しておくことで、日下弘氏の存在を知るきっかけ、そして氏の実績や人となりに親しむきっかけには、なってくれるのではないだろうか。そんな期待を持って、連載をここに終える。

ここまで読んで下さった方々、執筆者の湯浅レイ子様、そして日下弘様、本当にありがとうございました。

Written with StackEdit.